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vol.1「気仙沼女子会」

敬子さん「私、結婚したの後悔してるでしょって聞いたことがあって。そしたら、俺は、後悔はしないタイプだって(笑)毎日、竜司さんとか仲間がいるから楽しそう」
果歩「(笑)気仙沼の人って、横の連帯強いでしょ」
敬子さん「でもここまでは強くなかった。謙さんが来てくれて強くなった」
幸子さん「この気仙沼の何十年か先を見据えて頑張っている感じですよね。謙さん、果歩さんも来てくれるので。本当に力になっていただいてます」
敬子さん「合い言葉は尊敬と感謝です。来てくださる、心をかけてくださる」
果歩「いえいえ、私たちなんてとても」
幸子さん「次、果歩さんにまた会えるから頑張れるって、目標が出来て、頑張る姿を見せて恩返ししたいとかすごい考えます」
敬子さん「夫の姿見て、残りの人生を悔いなく過ごしたいと。病気したことあって弱ったけど、人は津波で亡くなるか病気で亡くなるかわからないけれども、何か一生懸命やろうかなって思って、そしたら子供の問題とかも消えていったりして。私にも覚悟が必要だったのかなって思いました。何事にも向き合って、覚悟が必要だと。50になってのらりくらりやっていてはダメなのかなと、ここに来て思えました」
果歩「まず自分が元気でいることがまわりの人を元気にするし大事だと思う」
幸子さん「思います。自分が元気だと笑顔もつられるじゃないですか。微笑み返しじゃないけど。元気な人がいると人が寄ってくる」
敬子さん「アンカーコーヒーさんの従業員さんなんて、すごいですよ。笑顔」
果歩「本当に気持ちがいい、笑顔に嘘がないし」
圭恵さん「いい方々が入ってくれて。私も感謝です。若者が流出するなんて言われてるけど、あんな人がいるんだって」
果歩「笑顔って伝染するんだと思う」
幸子さん「自分がプラスになる人を目標に頑張ると思うので、すごく人材って大事だなって」
果歩「そうだね。それからやっぱり直接会って受ける影響が一番強いと思うので。メールとか色々あっても、会ってこうして喋るのが一番だって私は思うの」
敬子さん「幸子さん、普段こんな風には喋らないでしょ」
幸子さん「果歩さんとバイバイすると辛くって。果歩さんだから、喋れるんです。お話をして、そうだね、とか言ってもらえて、共有してもらうことだけでもホッとする。女子ってそうじゃないですか」
果歩「うん。あの瓦礫がある状態から、撤去されて、いま盛り土されてる状態…それを見て、だけど私は、幸子さんのように、あそこで誰々さんが亡くなったとか、そういう経験はないんだけど、もし直接の友人がその道で流されたのだとしたら、その道を通る度に思い出すということを、直接聞くと共有できる。でも、新聞やテレビで知るだけでは、そうだったんだ…というイメージしか持てない。自分が直接関わった人の体験は、本当に身近になるのが人間同士かなと。そうやって海辺の道だったり高台の手前だったり、きょうもさんまのケイさんのお家にあげてもらったんだけど、階段のところでここまで水が来たのって直接示してもらうと、ああ、こんなところまでって思えて、直接教えてもらって話してもらうこと以上のことはないなって」
恭子さん「進んで変わって行く姿は望むところなんだけど、そういうあった事実を伝えていかないとなくなっていってしまう」
圭恵さん「自分のいたあの辺りがああなるなんて予想できなくて、テレビを見てるようにあそこを見ていて、車流れたって、自分たちのもの出せるかなって淡い期待があったんだけど…こんな状態になってるのに。家の場所を見届けるのがやっとで。本当にみんな逃げなかったって」
敬子さん「海と川から来たんだよね」
圭恵さん「あそこ何にもないですよね。通る度に変わりますよね。亡くなる人多かった。お父さんが戻るって言って、やめてって言って。2階に上がればって言って。私が止めて、本当に一緒にいてよかった」
幸子さん「母はやっぱり子供を守る為にね」
敬子さん「渋滞のとき、水が来ても、みんな車降りなかったんだってね」
果歩「プラザホテルは無事だったんですよね。高台だから」
恭子さん「はい、色んな方が避難して、観洋ホテルも100人くらいかな。みんなで、駐車場から呆然と見ていて、本当に無力だなって」
敬子さん「プラザホテルに避難した人が言っていたのは、男山の3階立てが波が来て、船が突っ込んでストンって落ちたところ見たって。◯◯屋のおばあちゃんがマンホールに吸い込まれた会社に、◯◯の従業員がひっぱりあげて…何で逃げなかったのって言ったら全員で退去だからって。ウチは目の前海だから逃げるの早かったよ。シャッターを閉めようとしたけど閉まらなかったときに、ああ商売終わりだなって思ってた。私は娘と電話が一回繋がって、小学校に行って、それぞれの場所を確認して。でもうまく情報がゆかなくて東京の妹には娘と私だけが無事って情報になってて。何が起こってるかわからなかった」
幸子さん「だから日頃、本当に話合うべきだったって思うよね。自分が逃げてれば、戻らないで逃げるって。それがルールねって。でもウチは話はしてて。ウチの竜司さんが津波の話を以前から気にしていて、水から何から用意が家にあったので」
圭恵さん「ウチも津波来そうって言われてたときに、あの年のお正月に、家をここに建てるなら5階建てにしないとって言ってたら、2階3階だと無理って言ってて。そしたら2ヶ月後だったですね。津波のときは橋超えて、超えてしまえば高いところにいけるからって言われてて。あっちに逃げようって言ってて。迷わなかった」