Trip -果歩トリップ-Trip -果歩トリップ-

ホカホカpeople

[気仙沼-1] K-port

ここにくれば、心がつながる

被災地へは、
震災から1か月後に避難所を22か所を回って以来、時折訪れていましたが、
縁あって気仙沼で2013年にK-portというカフェをオープンしました。
このK-portに来る度に、
地元の方との交流が深まってきました。
私の好きな気仙沼をご紹介したいと思います。
果歩

♡果歩さんと小さなお客様
店内には、ちびっこのお客様が楽しめるように、鳴き砂と絵本のコーナーがあります。
果歩さんは、ちびっこのボクと遊んで、おかあさんとお喋り。
仙台から越してきたばかりで、まだ知り合いがいないとのこと。
K-portのスタッフにボクと同じくらいの歳のお子さんのいるママスタッフを紹介して連絡先交換、新しい絆がまたここで生まれました☆

trip06_img01
http://www.k-port.org/


心の灯台になりますように


机の下でかくれんぼ

trip06_img04

9月1日 防災の日 @K-port
果歩さんがK-portに着いたら、お隣の磯屋水産の幸子さんが、
大喜びで駆けつけてくれました!

そして震災から3年半…
幸子さんが本音を語ってくれました。

果歩
震災から3年半、今どんなことを感じますか。

幸子さん
あれから3年半、今は気持ちを共有出来る友人達で支え合っています。
しかし、震災以来ずっと頑張って来た分、心と体のバランスを崩してしまう女性が多くいます。

果歩
私たちの年齢だと特に、女性特有の問題と重なるから、尚更辛くなってくるのでは…

幸子さん
そうですね。
頑張らなくちゃいけない!と常に緊張感を持ち続けて頑張ってきた為に、気を休めることなくここまで来たのかなと。
心は動きたくても体がついてこなかったりともどかしく、悩む事も増えました。
震災後は、どこかで人生を楽しむ事を忘れてしまっている気がします。
これからは、もっと素直に楽しめる事をしたい。
例えば女性として普通におしゃれをしたり、友人と遊びに出かけたり。

果歩
東京に暮らしていると、距離のせいでどうしても震災や被災地の記憶が薄れてしまう。
こうして度々気仙沼を訪れ、直接この地の人達とお話しをしなければ、離れた地に住んでいたりするとやはり感覚が弱くなってしまう。
ニュースや新聞では個人的な心模様がきっと伝わらないからだろうと思います。

幸子さん
語り部ツアーもやってますし、そういうのに参加してもらうとすごく嬉しい。
同世代同士で話せたら、いいと思います。
友人には家族を失った人もいます。
でも残された家族がいるから、悲しむ間も無く必死に前を向いて頑張らなくてはいけない。そんな友人達もここにきて、だんだん体調を崩してしまったり…

果歩
辛さって、気持ちから体に移行するんだと思います。
そして心と体のバランスがうまく保てなくなってしまう。
震災後、気持ちが沈んでしまった時、私は柔らかい毛糸を肌で感じながらひたすら編み物したりすると心が和らぎました。
辛いことを消し去るように、人は何かに没頭するのではないかと思いました。

幸子さん
周りの人たちが頑張っているから、なかなか弱さを出せる場所が無かったりで。
その分家族に気持ちをぶつけてしまうことがあったり…

果歩
震災後、家族のあり方は変わりましたか?
夫婦だったり親子だったり。

幸子さん
お互いに同じ辛い時を乗り越えてきましたので、やはり絆は深くなったと思います。
震災が来た時について話し合うことも増えました。

気仙沼は地盤沈下してしまったところも多く、今もまだ平地には何もなく、盛り土だけをしている箇所だらけです。
なので特に夜は、街に明かりが灯っているだけで、気持ちが楽になります。
仮設に入っている友人は、新しい建物が1つ建つ度に心の希望となっていると言います。
しかし待つ時間というものはとても長く感じてしまい…
いつまで続くのかなと…

果歩
ご高齢の方はどうされているんでしょうか?
若い人達ですら、リラックスできる場所を探すのは難しい。
ならば高齢者の方々はもっと集まれる場所もなく、年代的にも周りに胸の内を明かすこともできずに、我慢されている方が多いのではないかと心配です。
特に家族を亡くされた方など、自分の足だけで動くのは困難な方も多くいらっしゃるのでは?

幸子さん
そうですね。
お茶会などの集まりもありますが、遠さもあり、あまり外に出られないお年寄りが家に引きこもってしまうという事はたくさんあると思います。

果歩
家ではなく場所を変えて、ただお茶を飲んだりご飯を食べたりして過ごす時間は大切。そういう皆さんの心の拠り所になるように、K-portは存在していてほしいと願います。

幸子さん
皆頑張ってきた気持ちをもっと共感し合ったり、それぞれが心のケアをする。
そういった事がもっと必要となって来ていると思います。

果歩
震災時、幸子さんはどこにいましたか?

幸子さん
当日私は会社の二階にいて、すぐに学校に子供を迎えに行きました。
何が起こっているのか想像することもできず、ただひたすら子供の無事を祈るだけでした。丁度下校の時間だったので。
地球が割れちゃうんじゃないかというくらいの地震でした。
竜司さん(旦那さん)の名前を叫んでました。
迎えに行っている途中で、偶然娘に合えたため、海の方へ探しに行かずにすみました。卒業式の前の日だったんです。
もしも途中で会えていなく、行き違いになっていたら…
私は海の方へ探しに行っていたと思います。
あの時、いろんな場面や時間差で生死が別れました。
その為、あの時ああしていれば助けられたかもしれない。
そんなふうに悔やむ方が沢山います。
道路が区切られて大渋滞で、避難が大変だったので、道路を優先にしてほしいです。

果歩
安全な場所に最短で、お年寄りでも運んであげられる、行ける道ですね。
経験した人は、必要なものがわかっているのに、何故それが後回しになっちゃうのでしょう…。もっと現地の声が届くようになるといいですね。

trip06_img05

trip06_img06
幸子さん
「果歩さんが来ると嬉しくって、帰っちゃうとボーっとしちゃう」